• 小野 晶史

2022年2月号社説:日本の養殖は「天然もの」の味を追い求めるべき/「タンパク確保」が前提の海外とは一線を画す存在に─ 日本の水産養殖業のあり方で日々思うこと ー

日本の養殖業は海外と全く違う。何が違うのかと言うと、日本では高いレベルの魚食文化が発展しており、水産物に対する品質面での要望は非常に高い。一方で海外での養殖業は言うならば「餓死しないため」のものであり、食料安保的な意味合いが非常に強い。日本にもそう言う考え方がないわけではないが、日本は「ただ作ればいい」わけではなく、生産物の品質が天然魚に匹敵するほど高いものでなければならない。


海外での養殖生産量は日本と違い、莫大な生産量となっているが、そこにあるのは「大量生産が可能」な魚を集中的に生産していくという考え方だ。中国をはじめとしたアジア全域でも様々な魚が養殖されるが、その中でもコイ類やナマズ類などの養殖生産量は飛び抜けている。


これらは言うまでもなく「タンパク源の確保」という意味合いが強い。低価格で経費のかからない露地池などで可能な限り大量に生産されるものであり、日本のように経費のかかる施設で生産量を調整しながら養殖されることはない。いかに安く大量に作るかに注力してきているが、日本は違う。日本ではいくら安くても品質が伴わない魚は見向きもされない。


さらに、日本では天然魚として供給が安定している魚の養殖は全く行われない。サンマ、イワシはマーケットでの需要が高いが養殖されることはない。なぜか。「安い」からである。日本で養殖する条件として、「天然物の供給が不安定で高値がつくこと」が挙げられる。食文化を維持できなくなるようなレベルまで生産量が減少し、価格も高値が続く魚を供給するための養殖だが、それには「天然物の品質に近づける」ことが最低条件となる。


いい例が「本マグロ」の養殖だろう。近年は資源問題からも天然の本マグロの供給が不安定となり、異常な高値も飛び出す状況下で、養殖の必要性が高まっていた。結果的に人工孵化も実現し、養殖が可能となったが、肝心の品質が天然とかけ離れている。コストのかかる本マグロ養殖だが、品質が伴わなければコストをクリアすることもできない。日本の水産養殖は品質が伴わなければ事業として成立しないという世界でも非常に特異な位置付けのものでもあるだろう。


私は何が言いたいのか。日本の水産養殖業は常に「天然魚」の美味しさを視野に入れて行われるべきものであり、その美味しさを忘れることは許されない。ウナギ、トラフグ、マダイ、ブリ、クルマエビ、本マグロ、アユ、スッポン、ドジョウなど、挙げるとキリはないが、「美味しさ」を追求する姿勢は生産者・料理店のいずれにも求められるのではないだろうか。

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「常識」とは必ずしも「真実」ではなく、時代によって変わっていくような脆いものであり、時には歴史に翻弄されていくものではないかと思う。一つの「常識」には先人たちによる多くの歴史的事実や知見が積み重ねられていることは言うまでもないが、誰もが疑う余 地のないものとして一般に定着することで逆に検証する姿勢が弱まっていく。なぜその「常識」が出来上がったのか、その成立の過程などをしっかりと検証していくと、必ず