アユの食文化

 

 

 

 

アユは魚片に「占」と書きます。

西暦209年に神功皇后が熊襲征伐を成功した後、皇后は火前国(肥前国、今の松浦市周辺)で「誓約(うけい)」と呼ばれる占い行った。「西の財(たから)の国を得られるならば魚はこの釣針を飲むだろう」と宣言して釣りすると「細鱗魚」と呼ばれるアユが釣れました。その後、この占いの結果通りに三韓征伐を実現したといわれております。

神託が委ねられる魚であり、日本各地で様々な伝承が残っております。アユの食文化は「海無し県」と呼ばれる海岸線の存在しない県で発展、今でもしっかりと受け継がれております。炭火によるアユの塩焼きは無論、甘露煮も定番の伝統料理として受け継がれております。川の文化が根付くエリアではアユの塩焼を販売する「焼き売り店」が軒を連ねます。都市部、そして海産魚の文化が根付くエリアでは全くといっていいほど姿を見ませんが、長野県、岐阜県、栃木県、滋賀県、埼玉県をはじめとして多くの海無し件は無論、茨城県でも内陸部等、内水面の文化が盛んなエリアでは食文化として根付いております。

 
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